良い問題設定

 ある著明な研究者の研究紹介ビデオを観ていたら座右の銘として「良い問いを見出すことは、それを解くことよりも難しい」と言っていた。まさしく、この通りだと思うのだけど。(2013/06/30)

微分方程式

 生理学の授業には様々な式が出てきます。授業で式がどのような意味を持つか説明する際、式の導出過程は説明せず、いつも概略を説明するだけにしていたのですが、今回は部分的に導出を行うことにしてみました。例えば、時定数、長さ定数、腎クリアランスは生理学で学ぶ基本的な概念です。生理学の本には長々と説明が書いてありますが、これらは、一階の微分方程式に出て来るパラメータだということが分かれば、教科書に書いてある長々とした説明がなくとも、すらすらと理解できます。式の持つ力というのはこういうことなのです。すなわち、様々な現象の背後にある共通の構造を明らかにしてくれるのです。ここまでは授業では説明できませんでしたが、こんなことを学生さんに分かってもらえたらと思います。(2012/07/09)

震災の教訓はいつまで人々の記憶に残るのか

 大きな震災が起き、多くの日本人が地震対策などに強い関心を持っていますが、この状態はいつまで続くのでしょうか。古い神社は今回の津波にのみ込まれないような位置に作られていたといわれています。我々の先祖が子孫のために言い伝えとして残そうとしたからなのだと思います。ですが他の建物はそれ以外の地域に多く建っており、今回の津波の犠牲になってしまったところも多かったと聞いています。これは時とともに震災に対する人々に共有されている知識がある意味劣化してしまったからだと思います。このような人々の記憶の劣化の時間的スケールはどのぐらいなのでしょうか。

 私はだいたい100年ぐらいだと思っています。というのは株式市場で1929年に大暴落が起き、その約100年ぐらいあとに同じような大暴落が株式市場で起きたからです。だいたい100年ぐらい経過すると人々に共有されている知識は忘れ去られてしまう可能性があるのだということです。今回の震災の経験を活かそうとするのであれば、このような人々の心理のことまで考えて、後生に今回の教訓を伝えていくべきでしょう。無理かもしれませんが。。。(2011/10/14)

正しく怖がる

 「ものをこわがらな過ぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当の怖がることはなかなか難しい」寺田寅彦

今回の震災で考えたことをまとめると、これになるような気がする。(2011/06/16)

シュレディンガー「生命とは何か」より

 われわれは、今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得されはじめたばかりであることを、はっきりと感じます。ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能に近くなってしまったのです。

 この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないようにするためには)、われわれの中の誰かが、諸所の理論や事実を総合する仕事に思いきって手を着けるより他に道がないと思います。たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです。

 私の言いわけはこれだけにします。

生物物理学会の50記念シンポジウムで和田昭充先生が紹介。(2010/10/17)

本田選手の将来の夢

 「ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたい、と言うよりなる。世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。だから、今、ぼくはガンバッている。今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。」本田圭佑選手小学校の卒業文集

 サッカーにはあまり興味はないのですが、よかったので載せました。(2010/7/6)

批判的精神

 ほとんどの人は、ただ他人のいうことを鵜呑みにしている。もし君が成功したいと心から願うなら、そうであってはいけない。すべてを自分の手で調べなさい。そしてその目で確認すること。−ジム・ロジャース、娘に贈る12の言葉より-(2010/6/4)

人を残す

 金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。 -後藤新平-

 このような気持ちで授業をやりたいと思っているのですが。(2010/5/22)

海外

 研究者仲間との会話で話題になったのですが、20代くらいの人で外国で仕事をしたいという人が少ないそうです。理由は簡単だと思います。日本のほうが住みやすい。私も同感ですが、グローバル化ということを考えると、海外に出たくないとは、自分の首を自分で絞めているような状態なのではと思います。日本国内の市場規模はたかが知れているのだから海外市場に活路を見出すしかないというのが客観的な事実だと思います。日本の人口が1億2千万人なら、中国やインドにはそれぞれ約13億、約11億の人たちが住んでいるのです。両国を会わせて日本の約20倍、経済成長の著しいところは東南アジアなど他にもあります。これらはいずれも日本からそんなに遠いところではないのです。海外にビジネスの活路を見いださざるを得ないとき、海外に行きたくない人が増えた。各個人の適性にもよりますが、逆に海外でビジネスをしてもかまわないという人には、失敗もたくさんするでしょうが、それでも、多くのチャンスに恵まれるのではないでしょうか。実際、企業はそのような人が少なくなって、海外での事業展開を行う上で非常に困っているそうです。人と違うことを行うと、いろいろなチャンスに恵まれることがありそうです。(2010/3/1)

勇気?

 勇気?重要なことがらはただひとつ、人間が自分自身に対して忠実か否か、 ということでしかないような次元においては、このことばにはなんの意味もない。 「彼は勇気があったのか?」、「いや、論理的だったのだ」。「道しるべ」、D.ハマーショルド

 ある方のブログを読んでいたら、載っていた言葉です。良かったのでメモをしておきました。(2010/2/21)

Lady Gaga

 Youtubeをいろいろ見ていたら、Lady Gagaというアメリカの歌手の動画に。なかなか個性的かつ前衛的な衣装。音楽も無機的でファッションショーを思わせる仕上がりになっていてとても気に入りました。彼女の作品からはcreativityを感じます。御存知の人も多いのでしょうけど、私は初めて知りました。(2010/2/11)

アバター

 お正月にジェームズ・キャメロンの最新作アバターをみてきました。3Dの映画だったので入場するときにメガネが配られました。上映が始まり、視線をどこに持って行っていいのかわからず、なかなか3Dの映像になれなかったのですが、しばらくすると順応したのか、段々と映像を楽しめるようになりました。

 物語は、主人公がアバターと呼ばれる人間のDNAと異星人のDNAを組み合わせた人造生物の脳に、人間の神経細胞の活動を同期させ、遠隔操作することで異星人のコミュニティーに潜入するという話でした。私の専門には神経科学が含まれるのですが、良く科学的なことも調べられており、楽しむことができました。いま、私がやっている研究でちゃんとした答えが出れば、本当に自分の脳の信号で他の生物やものを自在に操る日が来るかもしれないのにと思いながら見てしまいました。

 とにかく、おすすめの映画です。(2010/2/11)

千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず

 Natureメンター賞を受賞された大沢文夫先生。その賞に関しての和田昭允先生による解説から。 (2010/1/4)

祖国、科学、栄光

 日本で「パリ祭」として知られる7月14日の「革命記念日」に、パリのシャンゼリゼ通りで行われるパレードの先頭をきって行進するエコール・ポリテクニックの学生が持つ校旗には「祖国、科学、栄光」と書かれています。このエコール・ポリテクニックはエコール・ノルマル・シュペリュールと並ぶフランスの高等教育機関で、エコール・ポリテクニックの校旗はナポレオンにより授与されたものです。この学校を卒業した私の友人によれば、ナポレオンは執務の合間に数学の問題を解いては、閣僚などにそれを自慢していたぐらい数学が好きだったそうです。ナポレオンは軍事の天才として知られています。砲弾の軌道を計算するとき、高校で習うニュートン力学の知識が必要になるように、ナポレオンは軍事技術には科学の力が大切なことを理解し、そのためにこのエコール・ポリテクニックを軍の管轄下においた歴史を持ちます。ナポレオンは軍事という側面から科学というものの社会的役割を考えたのですが、現在では、その社会的役割は数学も含めたら、工業はもちろんのこと、経済の分野にも多大なる影響を及ぼしています。すなわち、科学には国を変える力があるのだということを理解していたのです。最近の新聞を読んでいて、科学に限らず、このような先見性、戦略性が私たちの国にも必要なのではと強く思いました。(2009/11/19)

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆

 子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し、思いて学ばざれば殆(あやう)し。研究をしていると、ときどき思い出す論語の言葉です。(2009/9/28)

策士、策に溺れる。理論家、理論に溺れる。

 私の仕事はいろいろな数学の手法を用いなければならない部分があるのですが、時々、目的を忘れて、その理論自体にはまっていることに気づくときがあります。傍から見ると、目的はなんなのと言いたくなるような状態なのかもしれませんが、はまっている当人にはなかなか分からないものです。「策士、策に溺れる」という言葉がありますが、「理論家、理論に溺れる」といった状態でしょうか。もちろん、ある理論が他の分野に発展する可能性がある場合には当然追及することが大切でしょうが、その線引きをどこでするのかが問題です。最終的には研究している本人次第になるのですが、私個人でその基準をどこに置けばいいのか自問自答することがあります。今のところ、私の研究の場合、生物現象を理解することが目的ですので、これを軸にして行けばいいと思っているのですが。(2009/9/16)

電子部品と金融工学

 今日は実験で使う電子部品を買いに、近くの電子部品屋さんに行ってきました。私は中学生ぐらいから趣味で半田ごてを使い、ラジオなどの電子回路キットを組み立てるのが大好きで、田舎の電子部品屋さんにしばしば行っていました。今日はなぜかその中学生の頃の記憶がよみがえってきました。さらに、ふと週末にみたマネー資本主義のことが頭をよぎりました。今回買った抵抗は高くても一本100円もしません。だけど投資銀行の扱っている金額は億単位です。そのギャップを改めて認識するとともに、この一本の抵抗を作るためには、直接金融、間接金融いずれからかわかりませんが、融資を受け、製品を作っていることを改めて認識した次第です。マネー経済と実体経済は経済の両輪なのだと思いますが、その間の関係がどのようになるのが最適なのだろうかと考えたひと時でした。(2009/7/29)

No Risk, No Return.

 先日、ある番組でハイブリット車「プリウス」の開発の様子をドラマ仕立てで紹介していたのでみてみました。1990年代にトヨタ自動車のその当時の社長が21世紀を生き残っていける自動車ということで、燃費を2倍の28kmにするハイブリット車を作成した経緯が描かれていました。当時は環境というとビジネスにならないというのが業界の常識だったそうですが、その環境をビジネスにしたというところに、トヨタの技術者の先見性があったのでしょう。新しいコンセプトの車を作るために、大きすぎる電池でトランクがいっぱいになってしまうのを克服し、空力特性、ブレーキ、エンジンとモーターを切り替えるタイミングなどを一つ一つ精査して、やっと達成したことが描かれていました。

 後日、仕事の合間にハイブリッド車のことを考えていました。このハイブリッド車、電気モーターを使ったシステムを使っているのですが、このため、将来、電気自動車が主流になりそうになったら、そちらに切り替えることができるし、燃料電池車が主流になりそうになったら、そちらに切り替えるといったように、これからくるであろう、自動車の進化に対応することができるのですね。先日のテレビ番組ではこのようなことは取り上げてなかったけど、トヨタの技術者はここまで考えていたのではないでしょうか。トヨタ自動車の経営には戦略性を感じます。 このように思っていたら、昼に読んだ朝日新聞に同じようなことが書いてありました。さすが世界一の自動車メーカーになるような会社は違いますね。ちゃんとリスクをとって、そのリターンを得ています。

 もう一つの印象に残った番組は、マネー資本主義というNHKの番組でした。お金を貸すときには、貸し倒れリスクが必ず伴うのが古くからの金融の常識ですが、そのリスクを金融工学を用いることで非常に低くしたCDSやCDOといったデリバティブを作成した。CDSやCDOの作り方の詳細はわかりませんでしたが、それぞれの借り手が借金を返済できなくなる確率が独立だと仮定して、貸し倒れリスクを計算し、これを元に、CDSやCDOのような商品を開発したことが説明されていました。しかし、住宅価格の下落に端を発した、サブプライムローンの問題が起こり、その仮定が成り立たなくなってしまい、独立したさいころという仮定のもと成立するCDSやCDOのような金融商品は機能しなくなってしまったそうです。

 ノーリスクでリターンがあるということができれば非常に画期的なことだと思いますが、残念ながらそのようには今のところ行かないようです。また、CDSを開発したJPモルガンは、最初、企業向けにこの商品を作り、さらに顧客からこれを住宅ローン向けにできないかと注文されたことがあったそうです。そのとき、このデリバティブを作るのに必要な住宅ローンの貸し倒れリスクが計算できないからと、その開発を断ったそうです。私にとってはここに非常に学ぶべきことがあるように思われます。彼らはCDSという商品の開発者でその中身を知り尽くしていたために、他の投資銀行が犯した過ちを犯さずに済んだのではないでしょうか。ここにアメリカの投資銀行の負け組と勝ち組を分けた分水嶺があったのではないでしょうか。計算されたリスクを冒すというのはこういうことではないのかと思います。(2009/7/29)

Imagination is more important than knowledge.

 研究者の友人と話していたときのことです。その当時、彼はある現象を説明する論文を発表し勢いに乗っていたときのことでした。彼は新しい理論を勉強することが好きで、本当によく勉強します。その勉強した知識を「俺なりに知識を再構成するぞ」といったときに、私が上記のアインシュタインの言葉を言ってあげました。そうしたら、苦々しい顔をしながら「お前のイマジネーションはどこにあるんだ」と言い返されたという思い出がある言葉です。私も負けずにここという感じで、自分の頭を指差したのですが、そのせいか、せっかくのお昼休みが少し気まずい雰囲気になってしまいました。今となってはいい思い出ですが。(2009/6/14)

プーチンと柔道の心

 今日は書店に行って、「プーチンと柔道の心」という本を買ってきました。プーチンの政治家としての評価は別として、彼が講道館で見せた柔道の技は、間違いなく上級レベルの切れ味でした。それ以来、頭の片隅に彼の柔道に対する姿勢はどのようなものなのだろうかという疑問が残っていたのですが、この本を読むことで、柔道に真摯に取り組んでいることが分かりました。本によると、今でも柔道を練習しているそうです。そうでなければ、あの技のレベルは維持でないと思います。 (2009/05/14)

渋沢栄一 座右の銘

成名毎在窮苦日 敗事多因得意時

(名をなすは常に窮苦の日に在り、事に敗るは多くは得意のときに因る)

解説はいらないと思います。(2009/03/16)

パリの医学生?

 パリでの思い出をひとつ。ある研究所で一ヶ月ほど、友人と研究をしていたときのことです。午後にちょっと休憩をしに外に出ると、その研究所で働いているらしい、作業服を着たアジア系の人に声をかけられました。「どこからきたんだね」と声をかけられ、片言のフランス語で「日本から来ました」と応えると、「私は、南ベトナムから来たんですよ」という具合で話が始まりました。いろいろ、話をしてみると、この人のよさそうな作業員のおじさん、ベトナム戦争のなか、旧宗主国のフランスに亡命するのを選び、研究所付属の病院で働いていることがわかりました。

 結構なかよくなり、その後、昼食をとるときには、そのおじさんとその作業員仲間と一緒にとり、ほぼ毎日昼はフランス語の集中レッスンとなりました。2、3日後、このおじさんニコニコしながら、私に、なにやら分厚い本を差し出すのです。「この英仏医学用語辞書は忘れ物で教室にあったものなんだけれど、誰も取りに来ないので使いなさい」。どうやらこのおじさん、私が学生で、ここで医学を勉強していると勘違いしたらしく、異国の地で大変だろうと思い、わざわざ辞書を私にくれたのです。当時、私は30台前半でしたが、まだ、ここでは学生で通用するんだとうれしくなりました。若く見られるということは女性でなくてもうれしいものです。本当は、私はもう研究者なんですといって、受け取るのを断ろうを思ったのですが、それをフランス語でうまく説明できず、「いいからもって行きなさい」といわれてしまい、結局、オフィスにその辞書を持ち帰りました。

 そのときは、フランスに一ヶ月ぐらいの期間滞在するのは初めてだったので、フランス社会の人種の多様さなど、驚くことばかりでしたが、そのおじさんにいろいろと理由を教えてもらいました。また、革命、戦争などを体験した人で、そのときの話も聞かせてもらいました。そのおじさんは普通の作業員でしたが、人としての年輪を感じさせる人だったのです。

 それから、時間がたち、パリでの滞在を終え、帰国するのですが、そのおじさんに挨拶をかねて辞書を返しに行くと、「わたしはあと3年ぐらいで定年だけど、それまではここにいるから、いつでもまた来てくれ」と日本昔話のおじいさんのような声でいわれ、日本に帰ってきました。それから私の友人の所属が変わり、おじさんのいた研究所にはいっていないのですが、今頃、どうしているのでしょうか。(2008/12/24)




革命記念日 7月14日 シャンゼリゼ大通でのパレード


変なアイディア

 初めてイギリスで雨傘を使い始めた人は、それまで、傘を雨をよけるための道具として使うことが、一般に受け入れられていなかったからので、みんなから変人扱いされたそうです。 これと似たような話では、研究者の世界でよく聞く話です。若い研究者が保守的な研究者?から散々けなされたアイディアが、実は、明らかにしたい現象の本質的な部分をとらえていて、それが受け入れられなかったのは 実は保守的な研究者に原因があったと。。すなわち、アイディアというのは斬新であれば斬新であるほど、これまでの常識にどっぷり浸かっている人からみると非常にばかげたものに見える。これは、研究者の世界 の話だけと思っていたら、ほかの業種でも同じような事があるというのをある人から教えてもらいました。結局、人間なかなか時代の共通の考え方から離れた考え方をするのは難しいのだと思います。ということは、アイディアを提案したときに、馬鹿にされる度合いが大きいほど、いいアイディアなのかも知れません。アイディアの良し悪しの尺度として使ってみてもいいかも知れません。ただし、本当に的外れなアイディアの場合もありますから、最終責任はご自身で。(2008/11/13)

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